山口県周防大島町で行方不明となっていた2歳男児を発見し、
時の人となったのが尾畠春夫さんです。
お料理上手な奥様がいて、息子さんと娘さん5人のお孫さんに恵まれた尾畠さん。
家でのんびり老後を過ごすこともできたでしょう。
ですが、尾畠さんは15歳のときから決めていたんです。
「俺は50年働く。そして、65歳になったらやりたいことをしよう」と。
そしていま、被災地で活動する尾畠さんを見つけると、人が集まってくるのだそうです。
写真撮影にも気さくに応じる尾畠さんのなんてチャーミングな笑顔!
今回は、
尾畠春夫にはファンクラブがある!食生活や体調管理・夢についても!と題しまして、尾畠春夫さんにはファンクラブがあるんです!尾畠さんの食生活や体調管理、これからの夢についても迫ってみたいと思います。
みなさんの参考にして頂けると嬉しいです!
ということで、早速記事に移っていきましょう!
尾畠春夫にはファンクラブがある!
https://t.co/kSWaFmyp1S 【凄い人】 #スーパーボランティア #尾畠春夫 の矜持とは!?懸けた命は水に流せという信念と幸運を知る。 pic.twitter.com/7QEMsilYPW
— KayZ (@BuzFix) September 25, 2019
尾畠さんのプロフィール
名前 尾畠春夫(おばた はるお) 年齢 79歳 生年月日 1939年 年齢 79~80歳? 出身 大分県安岐町(現・国東市) 身長 161㎝ 体重 57kg |
1939年生まれの尾畠さん。
戦前に生まれ、戦争を経験し、戦後の荒廃や復興とバブルも経験しました。
イモとカボチャばかり食べていた時期もありましたが、良い思い出だそうです。
大分県の国東半島生まれ。
父親は下駄職人でしたが、ちょうど履物がゴムの靴に代わるときで、あまりうまくいかなかった。
そのうえ、妻(尾畠さんの母親)が、41歳で亡くなってしまった。
尾畠さんが小学校5年生のときだそうです。
妻が逝き、子供を残され、商売は上手くいかない。
そんな厳しい現実から目を背けるように、父親は酒におぼれるようになったそうです。
そして尾畠さんは、小学校5年生と言う幼い身で、農家に奉公に出されることになったのです。
第二の人生をボランティア活動にささげようと決意したのは、
「いただいた恩をお返しするのは当たり前。それが人の仁義」
とする尾畠さんの信念に基づいているんです。
魚屋をやって、子供を育て、息子は大学に行くこともできた。
それもこれも、お客様のおかげであって、温かく手を差し伸べてくれたからこそ、いまの生活がある。
尾畠さんはそのことに気付き、いただいた恩をお返ししようと決めたのだそうです。
そんな尾畑さんのスーパーボランティア振りに感動した方々がたくさんいて、ファンクラブもある!
昨日の尾畠春夫さんとの出会いに
とても感激いたしまして、
ファンクラブを探しましたら
ありませんでしたので、開設しました同じように感激している人の多さに
また感激いたしまして、
RTで情報を共有できたら嬉しいです尾畠さんの言動に共感したということは
すなわち私達にもできるということ— 尾畠春夫さんファンクラブ (@obataharuofc) August 16, 2018
尾畠さん
「私ではなくお天道様がよんでくれた」
泣いてしまう。素晴らしい人は本当に謙虚。— シーラ(金字塔Vo) (@shiira2010) August 16, 2018
尾畠春夫さんの報道をテレビで観てた時、涙出る位感動したなー>_<
おれも、ああいう人になれないかなー、小さい頃にテレビで観たヒーロー観て感動したのと重なるかも、おれの中でヒーローだなー^ – ^— けんハィ❗️すこっちウィスキー (@tczTBSHcFG2oGrB) August 23, 2018
尾畠さんの生き方には涙して感動します。人々を元気づけ、勇気づけ、そして明るくさせます。小学5年から丁稚奉公へ、苦労の連続の中で自分の確固たる人生観を築いていった。その強い信念・意思・道徳心は見習うべき。自分もたった今から何をすべきか、少しでも地域貢献できるよう頑張りたい。
— かっちん (@KGrTOmXw1a8AKmg) August 24, 2018
多くの皆さんが、尾畠さんの生き方に感動して、自分を見つめなおしています。
「かけた情けは水に流せ。受けた恩は石に刻め」
とは尾畠さんの言葉ですが、心に刻みたいです。
なかなかできるものではありませんが。。。
尾畠春夫の食生活や体調管理・夢についても!
尾畠さんは、以前ははお酒を浴びるように飲む人でした。
しかし、東日本大震災のときに、被災者に戻す「思い出探し隊」の一員として、約500日間ボランティア活動をしたときに、ピタリと辞めたそうです。
被災地の避難所の光景をみて、思うところがあったからです。
避難所ではみんなギューギュー詰めで身動きができないところで暮らしています。
しかし、誰も文句を言わない。
酒なんか飲んでる場合じゃないと思ったのだといいます。
尾畠さんの健康の秘訣は、とにかく身体にいいものをたべることです。
具体的には野草です。
野草を茹でて、酢醤油で食べる。
桑の葉、たんぽぽ、オオバコ、ドクダミ、ヨモギ……。
この食生活を40歳のときから続けている尾畑さんは、11年間、保険証を使ったことがないそうです。
これは凄いですね。
尾畠さんが80近い今も健康な秘訣は食生活にありそう。
いまの食生活は、被災地に負担をかけることがないよう、パックご飯とインスタントラーメンだそうです。
パックご飯は、温めるとガス代がかかるのでそのまま食べているとか。
おかずは梅干しだけ。
そして、寝るのは車の後部座席にゴザを敷いて寝ているそうです。
これは、被災地のどんな環境でも寝られるように、普段から練習しているのです。
被災地では、言動すべてに気をつける必要があります。
赤い服を着ているのも、背中には名前が大きく書いてあるのも理由があります。
被災地では、身元がわかるほうが安心するからです。
よくしゃべります。
黙っていると怖いからです。
赤い服もよくしゃべるのも、すべては安心感をもってもらうため。
このように細かな気遣いの尾畠さんは、やはり、筋金入りのスーパーボランティアなんですね。
そんな尾畑さんのこれからの夢は、沖縄で遺骨収集すること。
沖縄にあるガマという洞窟には、相当な数の兵隊さんの遺骨が眠っていると言われています。
その捜索のお手伝いがしたい。
できれば、来年の春にも実現したい。
尾畠さんは、花火の中では線香花火が好きだと言います。
小さくても長持ちする、そんな生き方。
決めたことは必ず実行するのが信条の尾畠さん。
昔もいまも変わらないそんな自分を、「案外、面倒な男かも」とジョークを飛ばす尾畠さん。
本当は今年、沖縄に行く予定だったのですが、災害が頻発して断念したそうです。
来年、沖縄にいけるといいですね。
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まとめ
今回は、
尾畠春夫にはファンクラブがある!食生活や体調管理・夢についても!と題しまして、尾畠春夫さんにはファンクラブがあるんです!尾畠さんの食生活や体調管理、これからの夢についても迫ってみました。
それでは今回は、ここまでとさせていただきます。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。