古川禎久の息子と嫁や父親と母親は?退寮処分と焼き鳥屋って?

岸田内閣で法務大臣に就任された、古川禎久(ふるかわ・よしひさ)さん。

焼き鳥屋の経営者という経歴をもった、ある意味異色の大臣です!

 

ふるさとが一番大事だと仰る古川禎久大臣に、

地元の誇りです。
国会議員でも全く偉ぶる事なく
地元の説明会にまだ20代だった私が
遅れて参加した所、説明会が終わった後

遅れて参加されたので
初めの方を軽く説明しますねと
丁寧に説明され凄く
感動しました。

あなたが選挙に出る限り
負ける訳はありません。

頑張って下さい!応援してます。

引用:Yahoo!コメント

と、このような熱いコメントが、Yahoo!のコメント欄にはちりばめられています。

 

古川禎久大臣とは、いったいどのようなバックボーンをお持ちの方なのでしょう。

今回は、

古川禎久の息子と嫁や父親と母親は?退寮処分と焼き鳥や経営者って何?

と題しまして、古川禎久大臣に迫ってみたいと思います。

 

みなさんの参考にして頂けると嬉しいです!

ということで、早速記事に移っていきましょう!

 

目次

古川禎久の息子と嫁や父親と母親は?

 

古川禎久の息子と嫁について

古川大臣の息子さんと奥様について調べてみました。

古川大臣は結婚されていて、男のお子さんが3人いらっしゃるようですね。

 

僕にも3人の子どもがいますが小学校、中学校、男の子ばかりなのですけど。でも彼らが、あの子たちがやはりゆくゆく世の中に出ていくときに本当に経済的には数字はどうかはともかくとしてやはり前を向いて、何かにすがって生きるのではなくてやはり強く自分の足で立って青空を見ながら歩けるようなそういう世の中にしたいしそういう子に育てたいと思いますよね。

引用:岩崎育英文化財団

 

これは、政経マネジメント塾の講師として招かれた古川大臣が、インタビューを受けて、ご自分の家庭の子育てについて語ったクダリなのですが、

 

子育てをする中で大事にされていることはありますか?

と聞かれて、

 

カメラの前で偉そうに言えるほどのことではないのですが、嘘を言うなとか弱い者いじめをするなよとか、そのようなところでしょうかね。ちょっと恥ずかしいです。

引用:岩崎育英文化財団

とお答えになっています。

 

このインタビューは、平成23年に行われたものですので、3人の息子さんはすでに社会人か大学生活を送られているのかもしれませんね。

 

また、

22日(金)から24日(日)まで鹿児島に家族と共に出張した。昨年私と同じく亡国郵政法案(詳しくは「奪われる日本」、講談社現代新書、45頁、69頁参照、(735円))に反対した同志古川禎久代議士に招かれて西郷南洲先生の命日の24日に南洲神社にお墓参りをした。22日の夜は古川氏の家族と合流した。古川氏は男の子が三人、私城内実は男の子が二人。同じ年頃の男の子が5人もいると結構にぎやかであった。

引用:城内みのるHP

これは、2006.09.24の城内みのるさんのHPに書かれていた、古川大臣とのご家族と合流したときのこと。

出張のわずかな時間を利用して、奥様や子供たちとの絆を深められている様子が、よく分かるエピソードですね。

 

古川禎久の父親と母親は?

 

古川大臣の実家は、焼酎屋を営んでいました。

南九州では、古くから芋焼酎をつくる零細業者がたくさんあったと言います。

古川家では、昭和元年から細々と焼酎を造っていたそうです。

 

そのころの焼酎造りは、機械化された今の作り方と違って、もっと素朴でシンプルなものだった。

祖父母や父親、母親、家族がみんな力を合わせて黙々と働いていたものだ、と古川大臣はその家族の姿を今でもはっきり覚えている、と仰っています。

 

古川大臣は、母親について次のように語っています。

我が家は小売もやっていた。夕飯どきになると、近所のお客さんがビールや焼酎を買いに来てくれたし、配達注文の電話も必ず何本か鳴る。そのたびに忙しく立ち働くのは母であった。私は母がゆっくりと夕飯を食べる姿を見たことがない。いつも女の細腕で一斗箱を抱え、懸命に商売に励んだ母である。

引用:ふるかわよしひさオフィシャルサイト 

 

お母さんのご苦労が偲ばれるエピソードです。

舅姑と一緒に働いていたら、本当に息つく暇もなかったのではないでしょうか?

 

母親は、更に

「勉強のためならお金はいくら使ってもよかとよ。お父さんお母さんが一生懸命働くから心配しなさんな」

引用:ふるかわよしひさオフィシャルサイト 

 

とも言ってくれたのだそうです。

 

地元の小学校を卒業し、ラ・サール中学校に入学した古川大臣。

出身地から約130キロもの距離があるラサール中学校。

古川大臣は中学時代には既に実家を離れて、寮で生活していたのでしょう。

 

そんな古川大臣の支えは、

「勉強のためならお金はいくら使ってもよかとよ。お父さんお母さんが一生懸命働くから心配しなさんな」

引用:ふるかわよしひさオフィシャルサイト 

と言って背中をそっと押してくれた、母の言葉にあったような気がしてなりません。

 

実家は今では廃業して、焼酎工場も取り壊してしまいました。

ほんの猫の額ほどのスペースにあった焼酎工場です。

しかし、古川家は紛れもなくここで焼酎造りを生業としていたのだと、古川大臣は述懐するのです。

 

退寮処分と焼き鳥屋って?

 

退寮処分

古川大臣は、ラサール高校から東京大学法学部に進んだ、間違いのないエリートです。

しかも、国会議員になる前は、建設省のお役人だった方です!

 

そんな古川大臣は、ラサール中学三年の11月に退寮処分を喰らってしまいます!

いったい、何故そんなことになったのか理由は分からないのですがともかく

一週間以内に下宿をさがして退寮するように!

と宣告されたのでした。

 

下宿をさがせと言われても、そもそも下宿屋さんは受験を控えた高校三年のお兄さんたちが入るもので、当然ながら大学受験シーズンになるまで先輩たちで部屋はたいがい埋まっているから、中途半端な時期に突然出ていけと言われてもそうそう空き部屋などあるわけがない。ひとりトボトボさがして歩くものの、なかなか部屋は見つからない。刻一刻と一週間の期限が迫る。もうどこでもいいやという気になってとある下宿屋の玄関に立った。

引用:ふるかわよしひさオフィシャルサイト 

 

下宿屋の玄関に立ち、

「物置でもいいですし、この廊下でも構いません…。置いて頂けませんかっ?」

と頭を下げる古川少年に、

「ああ、物置なら空いてますヨ」

即答してくれた方がいたのです。

 

まさに古川少年にとっては、地獄に仏のような思いだったのではないでしょう

70代の下宿屋のおばちゃんは、退寮処分をくらった少年を理由も聴かずに住まわせてくれたのです。

 

しかし、下宿とは言っても、山ほど荷物の積んである正真正銘の物置部屋です。

蒲団一枚分のスペースだけをやっと確保して始まった下宿生活。

寮を追われたくやしさと、心細さと打ちのめされた気持ちを抱え過ごす一人ぽっちの夜は辛かったことでしょう。

 

しかし、そんな状況下でも親に泣き言を言わず、故郷の宮崎に帰ろうとしなかった古川少年の胸には、

「勉強のためならお金はいくら使ってもよかとよ。お父さんお母さんが一生懸命働くから心配しなさんな」

という母親の温かい言葉が去来していたのではないでしょうか。

 

焼き鳥屋

古川大臣は、1989年建設省に入省し、建設事務官となります。

しかし、3年後の1992年には退官し、退官後は衆議院議員中村時広の秘書を務めたのです。

秘書を務める傍ら、目黒で焼き鳥店も経営していたそうです。

今でいう、副業でしょうか。

 

この意外な経歴に、

  • 焼き鳥屋というのは意外な経歴かも。
  • 社会人経験をしてる野心家は化けるだろうな。
  • この記事の範囲のことしか分からないが、応援したくなる人物。
  • 元焼鳥屋の大臣は初では。
  • おー、いいですねえ。良い経歴をお持ちで。苦労加減が半端ではない。眼光も良い。期待出来そうですなあ。こういう硬派がいるのは嬉しい限り。期待してまっせ。法務大臣。
  • 地元でこの方の悪い話を聞いたことがない。初入閣をとても嬉しく思います。

引用:Yahoo!コメント

 

このように、ネットの声はとても好意的です。

 

最後に

今回は、

古川禎久の息子と嫁や父親と母親は?退寮処分と焼き鳥や経営者って何?

と題しまして、古川禎久大臣の息子や嫁(妻)・父親と母親について、また大量処分とは?焼き鳥屋の経営って?との疑問に迫ってみましたが、いかがでしたでしょうか?

 

古川大臣は、初当選までに8年かかった苦労人とのこと。

地域共同体の助け合いや、足るを知る心にこそ、日本人の幸せのヒントがあると考えている

引用:ふるかわよしひさオフィシャルサイト 

このような気概を持った政治家に久し振りに出会ったような気がします。

 

それでは今回は、これまでとさせていただきます。

最後までこの記事を読んでいただき、ありがとうございました。

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