金ピカ先生こと佐藤忠志の今と家族は?自宅や年収と経歴・著作も

予備校のカリスマ英語講師で「金ピカ先生」のあだ名で親しまれていた、佐藤忠志さんが24日、亡くなっていたことが分かりました。

享年68歳。

冷たくなっている佐藤さんを発見したのは、訪ねてきたディケアの職員だったそうです。

カリスマ塾講師時代の派手な風貌を記憶していますが、晩年は寂しいものだったようです。

今回は、

金ピカ先生こと佐藤忠志の今と家族は?自宅や年収と経歴・著作もと題しまして、金ピカ先生こと佐藤忠志の今と家族はどうしたのか、自宅や年収と経歴や著作についても調査しました。

それではさっそく、本題へ入っていきましょう。

目次

金ピカ先生こと佐藤忠志の今と家族は?

金ピカ先生の愛称で親しまれていた 佐藤忠志(さとう・ただし)さん

大学卒業後代ゼミ講師となってからは、ヤクザ風の風貌と独特な教授法で一世を風靡しましたが、あの金ピカ先生は今、ほとんど引きこもりの孤独な余生を送っていたのです。

年収2億カリスマ予備校講師ともてはやされ、金ピカの高価な宝石を身にまといタレント活動もしました。

2001年には、参議院議員通常選挙に自由民主党公認で出馬しましたが、落選しました。

 

長年連れ添った妻とは喧嘩別れして、現在はほとんど孤独なひきこもり生活だったようです。

お子さんについては情報がありませんが、現在、生活保護で暮らしていたそうですから、お子さんはいなかったかもしれませんね。

 

金ピカ先生こと佐藤忠志の自宅や年収と経歴・著作も

一時は、このような豪華な車も所有していた金ピカ先生。

一体、どこで人生の歯車が狂ったのでしょう。

 

1980年代に代々木ゼミナールを手始めに東進ハイスクールなど予備校のカリスマ講師を歴任。

金ピカ先生は、「いつやるの? 今でしょ」の林修先生のようなタレント講師の走りでした。

当時の年収は2億円!

代々木ゼミの中では抜群の人気で、金ピカ先生の講座を取るために徹夜組も現れたほど!

芸能活動をして知り合った三船敏郎さんには、ずいぶん可愛がってもらったそうです。

体格がよくて強面なのですが、人懐っこい目がかわいい人でした。

 

外見や芸能活動でキワモノ扱いされた金ピカ先生は、実は、教育評論家・元予備校講師で元拓殖大学客員教授の肩書を持っていた人なのです。

また、著書も多く、『ズバリ!合格の英単語』『ズバリ!合格の英熟語』『ズバリ!合格の英文解釈』等々刊行しています。

 

ある記者が金ピカ先生の自宅を尋ねてインタビューしています。

妻が一年前に出て行った自宅は、荒れ放題だったといいます。

灰皿は、途切れることのないたばこの吸い殻で埋め尽くされ、酒浸りの日々。

9年前に脳梗塞で倒れた直後は、妻との約束で酒も断ち、食事にも気をつけていたそうですが、一人になった金バチ先生は、自棄になっていたようでした。

 

それにしても、2億円も年収があれば、働かなくても一生暮らしていけそうなのに、やはり、一度上げた生活レベルは落とせなかったのでしょうね。

妻との喧嘩の原因の一つが趣味の車で、

「人生最後の車にするから」

そう約束して購入した車が、CMC社のティファニークラシックで一億円ですから。。。

奥様はもう、ついていけないと思ったのかもしれません。

 

ネットやTwitterの反応

ご冥福をお祈りいたします。

 

まとめ

今回は、

金ピカ先生こと佐藤忠志の今と家族は?自宅や年収と経歴・著作と題しまして、金ピカ先生こと佐藤忠志の今と家族はどうしたのか、自宅や年収と経歴や著作についても調査しました。

一人暮らしで朝からビールをあおる生活。

生きる屍ですよ、、、と自嘲しながらも、金ピカ先生はこれまでの人生を「バラ色」と振り返ったそうです。

金バチ先生は、人よりもずっと濃い一生を高速で駆け抜けた人なのかもしれません。

どうぞ、ゆっくりおやすみください。

それでは今回は、ここまでとさせていただきます。

最後まで読んで頂きまして、ありがとうございました。

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