安部譲二現在の妻と仰天エピソード!元首相が同級生?晩年の言葉も

作家の安倍譲二さんが急性肺炎で亡くなったことが明らかになりました。

2019年9月2日のことで、年齢は82歳でした。

デビュー当時のことは、いまもはっきりと覚えています。

「塀の中の懲りない面々」で一躍ベストセラー作家となった安倍譲二。

裕福な家の子供なのに、何故ヤクザの道へ?

前科はなんと14犯!

なぜなぜ?と疑問ばかりの異色の作家・安倍譲二。

そんな彼を支えたのが現在の妻である美智子夫人だったといいます。

破天荒な安部さんですが、妻の言うことだけは必ず聞いていたとか。

そこで今回は、

安部譲二現在の妻と仰天エピソード!元首相が同級生?晩年の言葉もと題しまして、安部譲二が再婚した現在の妻と仰天エピソードや、なんと元首相が同級生だったこと、晩年の言葉についても紹介したいと思います。

それではさっそく、本題へ入っていきましょう。

目次

安倍譲二死去を伝えるヤフーニュース

小説「塀の中の懲りない面々」で知られる作家の安部譲二さんが9月2日に急性肺炎のため亡くなったことが8日、公式サイトで発表された。82歳。かねてより自宅療養中だったという。

公式サイトには「生前は多くの方々に安部譲二とその作品を愛していただき、心より感謝申し上げます。自宅でもサポートして下さる在宅医療の方々を常に笑わせ、明るく前向きな安部譲二ワールドを展開しておりました。読者の皆さま、関係者の皆さま、いつも励ましのメールやお手紙をありがとうございました」というメッセージが掲載された。本人の意向により、葬儀・告別式は親族のみで営まれたという。

(引用元:Yahoo!ニュース)(一部省略)

安倍さんは、2015年に大腸がんを患い、余命宣告されていました。

しかし、それ以降も元気な姿を見せていたのですが、彼の命を奪ったのは急性肺炎という病だったのです。

安部譲二が再婚した現在の妻と仰天エピソード

安倍譲二が再婚した現在の妻について

安倍さんは、44歳でヤクザの世界から足を洗い、小説を書き始めます。

デビュー作の「塀の中の懲りない面々」は当時大変な話題を呼び、100万部以上を売り上げたということです。

それ以後は、人気作家として不動の地位を築き上げ、1991年、イベント会社で働いていた現在の妻(美智子)と再婚しました。

知人が語るには、

「あの安倍さんが美智子さんの言うことだけは、必ず守る」

ということでした。

「今日は何倍だけよ、と美智子さんに言われると必ず守るんです」

あの大きな身体を小さくして、奥さんのいいつけをしっかり守ってお酒を控える安倍さん、なんだか可愛いですね。

仰天エピソード

安定した作家生活を送っていた安倍さんでしたが、時折、ヤクザをしていた時の所作を垣間見せることがあったそうです。

赤坂のラウンジで囲む会をしたときのこと。

文芸誌編集長の何気ない一言に、安倍さんが激昂したというのです。

キレた安倍さんは、クリスタルの灰皿を床に投げつけ真っ二つに割ってしまいました。

みていた周りの人たちは、シーンと静まり返ったそうです。

迫力ありますね?!

「無頼派」

と冠のつく作家は少なくありませんが、彼は本物。

その場にいた編集者の方々は肝に銘じたことでしょう。

安倍譲二のプロフィール

本名     安部 直也(あべ なおや)

生年月日   1937年5月17日(82歳没)

出身地    東京市(現東京都品川区)

職業     小説家・俳優・タレント・漫画原作者

小学校    東京都港区立麻布小学校

中学校    私立麻布中学校

中学在学中から安藤組事務所に出入りしていたため、麻生高校への内部進学ができなかった

その後、イギリスに留学するも、イタリアから留学中の女子生徒と全裸で戯れていたのを舎監に発見され退寮処分を受けたり、16歳でカメラマンのアシスタントとしてオランダに渡る

裕福な家の息子として生まれた安倍さんは、低学年で世界文学全集を読破したため、小学生のときには「神童」と呼ばれていたそうです。

ヤクザの安藤事務所に出入りするようになったのも、「安藤昇さんに憧れて」の行動らしいです。

安倍譲二と元首相が同級生?

安倍譲二と同級生だった元首相とは、橋本龍太郎さんです。

橋本さんとは、麻布中学時代に同級だったとか。

雑誌の取材を受けた安倍さんは、

「自分は勉強がかなり下だったけど、その下にいたのが橋龍だった」

と笑っていました。

あのポマードで髪型をビシッと決めて、国会で答弁している橋本龍太郎さんが実は、劣等生だったなんて人生はわかりませんね。

安倍さんと橋本さんとはずっと仲がよく、ヤクザ時代に安倍さんが背負った借金の面倒をみてくれたのも橋本龍太郎さん。

橋本龍太郎さんのハンコをついた名刺が、随分役に立ったということでした。

安倍譲二の晩年の言葉

最後に安倍譲二さんが妻の美智子さんに語っていたという晩年の言葉をご紹介します。

「こんな年まで生きていられて、十分お釣りがくる人生だった。

ありがたい、強運な人生だったよ」

安倍譲二さんのご冥福を心からお祈りいたします。

まとめ

今回は、

安部譲二現在の妻と仰天エピソード!元首相が同級生?晩年の言葉もと題しまして、安部譲二が再婚した現在の妻と仰天エピソードや、なんと元首相が同級生だったこと、晩年の言葉についても紹介しましたが、いかがでしたでしょうか?

大きな目と身体と豪快なお喋りをする、安倍譲二さんは魅力的でした~。

がむしゃらに生きた安倍さんが、晩年は妻の言うことをよく聞く好々爺となり、感謝の言葉を残して逝かれたのですね。

塀の中の懲りない面々、読み直してみたくなりました。

それでは今回は、この辺で失礼します。

ありがとうございました。

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